2012年01月09日

アメノウズメ

ザッとした説明をすると。。。

アマテラスはスサノオのいたずらを嫌になって洞窟の中にどじこもり、世界は暗くなってしまった。

八百万の神々は河原で会議を開いて作戦実行した。

アメノウズメがへんな踊りをして、神々が大爆笑し、

気になったアマテラスがちらっと外を覗いたところに鏡を出して見せ、

鏡に映っているのが気になって乗り出してきたところを
 
タジラカオが引っ張り出して、世界は明るさをとり戻した。




そのときのアメノウズメは

「サガリゴケをタスキにかけ、ツルマサキのつたを髪の上にかぶり、

ササを手にもち、からのオケの上に立って、神がかりして、胸もあらわに、

腰紐を陰部までおしさげて、足をふみならして夢中でおどった。

その足音は大きくこだましてとりかこむ神々は声をあげてわらった。」『アメノウズメ伝』鶴見俊輔


「この狂態はシャーマンのものであった。シャーマンは騒擾楽器の音とともに恍惚状態に入り、

魂を霊界におもむかせ、そこで得てきた霊力をもって病める肉体や魂の治癒をはかる。

天の岩屋戸の神話には、宮廷儀礼鎮魂祭が投射しているが、

これは冬至のころの太陽の活力と君主の魂を合わせて賦活する祭りであった。

神話におけるアメノウズメの役目は、弱った日の神の力を回復させることにあった。」

『日本架空伝承人名辞典』倉塚曄子


「アメノウズメのしぐさはおどりであって、それは主張としては、

支離滅裂であると評価されよう。

そのように、夫は妻に、おまえの言うことは支離滅裂だなどと判断をくだして、

家庭の議論をうちきるということがあるだろう。その時、妻が、

その支離滅裂なところにわたしの主張があるのよ、と反論したらどうだろう。

垂直の推論の形からはなれたところにも、思想のありかを、私は認めたい。」鶴見俊輔



いいとおもう。



  


Posted by もももも at 23:19Comments(0)

2011年08月13日

たんぽぽ

アントニー・デ・メロ著 『小鳥の歌―東洋の愛と知恵―』より




たんぽぽ



自分の家の芝生にたいへん誇りを持っていた人が、

たくさんのたんぽぽを発見しました。

彼は知っているだけの方法を全部用いてたんぽぽを抜こうとしました。

それでもなお、たんぽぽは彼を悩ませつづけました。

ついに農林省に手紙を書きました。自分が試みたあらゆる方法を列挙し、

手紙の次の質問で締めくくりました。

「わたしは今、何をしたらいいでしょう?」



ほどなく返事が来ました。

「たんぽぽを愛そうとしたらどうですか?」
  


Posted by もももも at 15:30Comments(0)

2011年08月07日

心慕手追

志村ふくみ著 『母なる色』 より




心につよく願うことがあれば、手がそれを追うという。

「心慕手追」という言葉があるという。

もし手が追ってこなければどうなるか、といえば、

その願いごとが、「しっかり強固していない」又は「熟していない」「低い(次元が)」ということになるのだそうだ。

そういわれてみれば思い当る。

胸のうちにどんなに熱く燃えていてもそれが持続するものなのか、一時の自己救済ではないのか。



             気仙沼市 大理石海岸の近く  


Posted by もももも at 08:21Comments(0)志村 ふくみ

2011年06月21日

魂の記憶をとり戻す旅

写真家星野道夫は1996年、カムチャツカで熊に襲われ逝去した。

龍村仁の著書『魂の旅 地球交響曲第三番』より






「自分はどうしてこれほどアラスカの自然に惹かれるのか」

「先住民の人々と出会う時、なぜこれほどの懐かしさと安らぎを覚えるのか」

「ベーリング海峡を前にした時、突如湧き起こって来るこの、抑え難い旅への衝動はどこから来るのか」

「自分はなぜ、これほどまでに熊を愛し敬うのか」

「自分はなぜ、十九歳の時、ひとりで北極圏のエスキモーの村まで来てしまったのか」

こうした問いに対する答えが、自分の外側から、知識や情報によってもたらされることなどあり得ない、

ということを星野はよくよく知っていた。

多分、その答えは自分自身の中にすでに「記憶」として存在することも、星野は知っていた。

しかし、その「記憶」は、座して待つだけでは決して甦ってはこない。

だから彼は「旅」に出たのだ。

「ワラリガラス神話」を求め、それぞれの場所に自ら立ち、人と出会い、

風に吹かれ、匂いを嗅ぎ、音を聴き、手で触れ、苦しみ、悲しみ、驚き、その先で、

フト我に返った時、初めて甦ってくるかも知れない「一万年前の記憶」。






以下は星野道夫 『森と氷河と鯨』より





巨木の間を抜け、森に足を踏み入れてみると、あたりは夕暮れのように暗くなった。

かすかなクマの道が森の奥へと続いていた。

クマに出会いたいのか、

それとも出会いたくないのか、

自分でもよくわからない気持ちを抱きながら、

ぼくはゆっくりと進んでいった。

やがて森の気配にも慣れてくると、

まるで、自分がクマの目になってこの森を眺めているような気分にとらわれた。

クマの道は次第に分かれ道が多くなり、やがて踏み跡もはっきりしなくなって、

いつのまにか森の中へ消えていった。

そこが、人間とクマの世界の、ひとつの境界のような気がした。

かつて私たちももっていた人間と自然の境界、、、、。

夜になり、森から少し入った川原で野営をした。

天上を仰げば、黒い木々のシルエットに囲まれるように星空があった。

ぼくは、

“人間が究極的に知りたいこと”を考えた。

一万光年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ、

人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、

どんな未来へ向かい

何の目的を背負わされているというのか。

けれども、人間がもし

本当に知りたいことを知ってしまったら、

私たちは生きてゆく力を得るだろうか、

それとも失ってゆくのだろうか。

そのことを知ろうとする想いが

人間を支えながら、

それを知り得ないことで

私たちは生かされているのではないだろうか。

ぼくはクマの道が消えていった世界の奥深さを思った。

その目には見えぬ深遠さは、

“人間が究極的に知りたいこと”と、

どこかでかかわっているはずだった。

ホーッ、ホーッと、森の奥から、低くこもったフクロウの声が聞こえてきた。

近くにクマがいるような気がしてならなかった……。


  


Posted by もももも at 21:45Comments(0)星野道夫

2011年06月21日

山尾三省 『原郷への道』 より その二




南無浄瑠璃光 樹木の薬師如来

われらの沈み悲しむ心を 祝わしたまえ

その立ち尽くす 青の姿に

われらもまた 静かに

深く立ち尽くすことを 学ばせたまえ




南無浄瑠璃光 風の薬師如来

われらの閉じた呼吸を

解き放ちたまえ

その深い 青の道すじに

解き放ちたまえ

  


Posted by もももも at 10:05Comments(0)山尾三省

2011年06月21日

山尾三省 『原郷への道』 より


                  京都府亀岡市国分寺の椋



森には森の時というものがある。

川には、川の時というものがある。

そして海には、やはり海の時というものがある。

これらのゆったりした時に比べると、

人間はいかにもあわただしい。

ただあわただしいだけでなく、

前へ前へと追われるように進むことにとらわれて、

人は実は帰る存在であることが見失われている。



                天川神社 護摩焚きの時の空



森の時は、移り変わり進んでもゆくが、

それと同時に回帰し、動きながらもまるで動いていないように感じられる。

川の時、海の時も同じである。



                  赤目四十八滝付近にて


ある時から僕は、この時を学ぶこと、

この時において生きることの方が、

時代とともに前へ前へと進んでゆくことより

ずっと実のあることであることが分かってきた。

それで森の中の一本の木が森とともにあらざるを得ないように、

時代とともに僕もあらざるを得ないのではあるが、

進むのではなくて回帰することの方にむしろ意味と充実を見詰めるようになってきた。



  


Posted by もももも at 09:52Comments(0)山尾三省

2011年06月07日

一緒になりたがっている


                            アイヌの人

『パパラギ』 より

「どのパパラギも職業というものを持っている。

職業というのが何か、説明するのはむずかしい。

喜び勇んでしなくちゃならないが、たいていちっともやりたくない何か、それが職業というもののようである。

職業を持つとは、いつでもひとつのこと、同じことをくり返すという意味である。

目をつぶっていても、また、全然緊張なしでもできるまで何回もそれをくり返す。

たとえば私が自分で小屋を作るとか、むしろを編むほか、何にも仕事をしないとする。

―すると私の職業は小屋作り、あるいは、むしろ編みということになる。




だからこんなこともよく起こる。

たいていのパパラギが、その職業ですることのほかは何もできない。

頭は知恵にあふれ、腕は力に満ちている最高の酋長が、

自分の寝むしろを横木にかけることもできなかったり、自分の食器が洗えなかったりする。




職業というのは、つまりこうである。ただ走るだけ、ただ味わうだけ、ただ匂いをかぐだけ、

ただ戦うだけというふうに、いつでもひとつのことしかできないということなのである。

できることはたったひとつだけ、というこの能力には、大きな欠陥と大きな危険がある。

というのは、だれだっていちどくらい、そうしても入江でカヌーを漕がなければならなくなるということは、

大いにあり得ることだから。

大いなる心が私たちに手をくださったのは、木の実をもいだり、

沼地かたタロイモの茎を引きぬいたりするためにである。あらゆる敵から身を守るためである。

踊りや遊び、その他全ての楽しみを楽しむためである。

ただ小屋を作るだけとか、木の実をもぐだけとか、芋の茎を引きぬくだけのために手をくださったのではなく、

いつでもどんなときにでも、手は私たちのしもべ僕であり戦士でなければならない。

だが、パパラギにはこのことがわからない。

だが彼らのしていることがまちがいであること、まったくのまちがいであり、

大いなる心のすべての掟にそむいていることは、こんな白人たちを見ればはっきりする。

職業のため、いつもからだを動かすことができず、

プアア(豚)のように下腹に脂肪がついて走れなくなった人、

日陰に座ってツッシ(手紙)を書くほか何の仕事もせず、

ただ骨筆をにぎっているだけだから、もはや槍をもちあげることも、

投げることもできなくなった人、星をながめたり、考えをしぼり出したりしているだけで、

もはや野生の馬を駆ることができなくなってしまった人。

パパラギが一人前になると、もう子どものように飛んだりはねたりはできなくなってしまう。

風に吹かれて、からだを引きずるようにして歩き、まるでいつも何かにじゃまされているようにのろのろ動く。

そしてこの無気力さを認めようとはせず、こんなふうに言いつくろう。

「走ったり飛んだりはねたりするのは、上品なおとなの礼儀にかなうことではない」

だが、そうは言うものの、これは偽善的な弁解である。

実際には彼らの骨はこわばって動かなくなり、すべての筋肉が喜びを失った。

骨も筋肉も、眠りと死へと追いやられてしまったのだ、職業によって。



パパラギも実は、このことでとても困っている。

一日に一回、いやもっと何回でも、小川へ水を汲みに行くのは楽しいことだ。

しかし日の出から日の入りまでくり返しくり返し水汲みばかりしなければならないとしたら――

最後には、自分のからだの手かせ足かせにむほんを起こし彼は怒りの中で爆発するだろう。

まったく、同じ繰り返しの仕事ほど、人間にとってつらいことはないのだから。



それゆえ職業を持つ人々の心には、憎しみの炎がめらめらと燃えている。

この人たちの心の中には、鎖でしばられ、逃げようとしても逃げられない獣のような何かがある。

そしてすべての人々が、他人をうらやみ、他人に嫉妬しながら、おたがいの職業を比べ合い、

あの職業は尊いとか卑しいとか、しきりにごたくを並べている。

そうではなく、すべての職業は、それだけでは不完全なものなのだ。

なぜなら人間は手だけ、足だけでなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくのが人間なのだ。

手も足も頭も、みんないっしょになりたがっている。

からだの全部、心の全部がいっしょに働いて、はじめて人の心はすこやかな喜びを感じる。

だが、人間の一部分だけが生きるのだとすれば、ほかのところはみな、死んでしまうほかはない。

こうなると、人はめちゃめちゃになり、やけになり、そうでなければ病気になる。」




  


Posted by もももも at 00:07Comments(0)

2011年06月06日

何者でもない巨人




「たとえば「南方熊楠とはどういう人だったのですか」とたずねたとしますと、

ある人は「植物学者」と答えるかもしれません。また「民俗学者だ」という人もいるでしょう。

「そりゃ何といっても粘菌の研究では世界的に有名な粘菌学者だよ」

と言う人も「いやいや、それらを全部ふくめた博物学者だ」

という人もでてくるはずです。

とにかく、熊楠の身近かで暮らした人たちでさえ、熊楠の業績を伝えることばが見つからず、

中には「巨人」と呼んだ人たちもいました。」

                              戸西葉子 『南方熊楠』 より

鶴見和子と山折哲雄の対談より

山折:先ほど粘菌を中間の生物と考えたらどうなのかと言われましたが、

それもやっぱり二項対立的な考え方ですよね。

南方はそうではなくてむしろ粘菌は植物でも動物でもあり第三の生物でもあると考えた。

そういう意味では植物という専門的な領域から離脱する思考法、

あるいは動物とは何かという問題から離脱する思考法をとったのではないか。

 それはなぜかと考えてみますと、世俗的な言い方になりますけれども、

南方熊楠自身が専門家として成功しなかった。

自然科学者としても宗教家としても成功していない。エコロジストとしても貫徹していない。

鶴見:そうです。なんにも成功していないんですよ。

山折:すべてにおいて欠けている。と同時に、彼はひょっとするとすべてのものになりたかったのではないか。

だから粘菌を植物、動物、その中間領域のもの、そのすべてであり得るようなモデルとして、

心理的に自分にひじょうに近いものとして、受け取ったのではないか。

                                      鶴見和子 『南方熊楠のコスモロジー』


「生物を個別の現象としてとらえるのではなく、全体として理解する」 →ecology(生態学)

                            『クマグスの森』松居竜五



                     南方マンダラ



  


Posted by もももも at 08:13Comments(0)南方熊楠

2011年06月05日

お墓

10年ほど前のドラマ『すいか』より

会社で腐っていたすいかを基子が持ち帰り、庭に埋めてすいかの墓をつくった。

それを見た教授が言う。


「お墓って人類の発明よね。

死んだ人を忘れないように、、、。

でも安心して忘れなさいっていうために作られたものだと思うわ。」




忘れたくない。忘れると死者に申し訳が立たない。

だから忘れないように死者で意識をいっぱいにする。

そうすると悲しくて悲しくて時が止まる。

でも生きている人間は前へ進まなければならない。忘れないと進むことができない。



心の整理のためにお墓ができた。お墓は生きている人のために作れらたのだろう。




しばらくしてすいかの墓からはすいかの芽が出た。



               夜明け  ベトナムの夜行列車から
  


Posted by もももも at 23:16Comments(0)

2011年06月03日

岡本太郎 『歓喜』 より



熊野市 鬼ヶ城



以下全て『歓喜』からの引用。





ある人が言った。

「あなたは絵描きさんでありながら、さかんに文章も書くし、いったいどっちが本職ですか。」

「本職?そんなのありませんよ。バカバカしい。もしどうしても本職って言うんなら、『人間』ですね。」

みんな笑う。どうして笑うんだろう。

 生きがいをもって猛烈に生きること。自分のうちにある、いいようのない生命感、神秘のようなもの、

それを太々とぶつけて出したい。なぜ狭いタイトルのなかに自分を、他を、とじこめてしまおうとするのだろう。

その方が世渡りには好都合だ。世間が安心して許すから。しかし、そんなの面白くない。

誰でもが思う存分、四方八方に生きたらいいじゃないかと思う。

膨大な近代機構のなかで、職業分担がある。それは必要だ。

しかし専門家という格だけを信用する形式主義、権威主義は危険であり、馬鹿馬鹿しい。

 それにしても“専門家”は、歴史のなかで、どんなに、権威的にウソをつきつづけてきたことだろう。

もうこの辺で、専門家だからといってムヤミに信用し、白紙委任してしまう無邪気さをやめにして、

オレはこう思う、アタシにはこう見えるという、こだわらない筋のほうを大事にしたらどうだろうか。

 専門家こそ逆に何も知らないのだ、とさえ言いきれる。この世界は、政治にしても、商売でも、

文化一般でも、あらゆるものがからまりあって生きている。

そのなかの細分化されたほんの一部、針のさきで突いたくらいの狭い領分にどれほどくわしかったところで、

その中に頭を突っ込んだきりではメクラ同然だ。

 あらゆる問題に、全人間的な幅でかかわり、答える人は稀だ。

つまりユニバーサル(宇宙的)な教養の幅がないということでもあるか。

 教養の幅をもたなければならない、いわゆる文化人でもそうだ。

たとえば文学者などが「僕は絵のことはよくわからないから。」とか、

「私は音痴で、音楽はどうも。」などと引込んでしまう。

そして自分の眼、耳をはたらかせないで、盲目的に権威筋の言うことに従うのだ。

絵のエキスパートと思っているやつほど、芸術の運命を見あやまっているのに。

 絵描きの方はまた、文章を書いたり、学問なんかをやることは邪道だ、絵が悪くなる、という気分が強い。

学者は学者で、専門外の発言をすると誤解をうける。

ひたすらに、“この道一すじ”がソンケイされるのである。古い職人的伝統だ。

 専門であろうがなかろうが、体当たりして行きぬくことが人間の極意であるはずだ。

本当の人間はみんな透明な眼をもった猛烈なシロウトなのである。自分の専門に対しても。





  


Posted by もももも at 21:58Comments(0)岡本太郎

2011年06月03日

風呂敷でいいんじゃないでしょうか?



海外旅行に行くのだって、何日かかけて山を歩くのだって、

風呂敷がべんり。

軽いし、洗えてすぐ乾く。だってそれは100センチ四方ぐらいのただの布。

空港で預けた風呂敷がみんなのスーツケースたちと一緒に流れてくる景色に顔がゆるむ。

風呂敷を水戸黄門のご一行のように背負えば絶妙のフィット感。

リュックなんていらない。

熊野でいかにもな流行っぽいアウトドアガールズを発見した。

足の先から頭のてっぺんまで一式買い揃えました!という吹き出しが見える。

形から入るたのしみもあるんだろうけど、わたしはいい。

いつも履いてるワンストラップの靴で雨の山道でも困らなかった。


とても簡単なことなのに、何となくめんどくさそうで、

それが敷居を高くする。

あれがないとだめ、こうじゃないとだめとか、大概そんなことないのに。

敷居がフラットになってもっと自由になればいい。

捨てて捨てて身軽になれば

あとはやるかやらないか。





                                 赤目四十八滝






  


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2011年06月03日

熊野詣



                       熊野古道 大雲取越え


かつての熊野詣では旅半ばにして行き倒れた人も多くいたという。

古道を歩きながらなぜそうなるのか不思議だった。

それは私がただ愉しみとして歩いていたからなのだと気付いた。

体がどんなに病んでいても、熊野に行けば救われるのではないか。

あの険しい旅路をまっとうすることはもしかしたらできないかもしれない。

でも、ではこのままどうしたらいいのか!


すがるようにして救いを求め歩いたのが熊野詣だったのだとおもう。








傷んだ心で歩くとよくわかる。

大門坂に入り、大杉を両手にすれば内側が静まっていく。

こんなにも軽かったのか。自分自身でなんと分厚い埃をかぶせていたのだろう。

あぁ、元に戻ったと思った。元気とは元の気に戻ること。



 
                           小雲取声 百間ぐら


「日本の民衆思想は他力の思想なのだと思う。

自然という絶対的に清浄なものをみいだし、その自然の姿に導かれながら「我」を解体していく。

自然を神とする絶対他力の思想が底にあって、その思いに言葉を与えたものが仏教である。」

                         内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』より



               
                         小額空木(コガクウツギ) 甘い香り


那智山の青岸渡寺にて供養をしてもらう。

アニミズムの世界が好きで、目に見える形で表したり何らかの形式をとろうとする宗教には違和感を覚えていたが、

形を与えることで得られる安らぎもあるのだと知った。

早朝の優しく澄んだ霊気の中で、本当に良いお経だった。






 
                                    本宮 大斎原


那智から二日間歩いて熊野本宮大社へ。

本宮大社は明治22年の大水害で社が壊れるまでは大斎原(おおゆのはら)という3つの川の合流する中洲にあった。

本宮大社は終着の地であり、甦りの地と言われる。

大斎原は現在は一見ほとんどただの原っぱでしかないが、こちらがまことであることはよくわかる。







木は水を蓄える。熊野詣において最重要の本宮大社を破壊した大洪水は、森林伐採によるものである。

神からの警告。

高度経済成長期には木の実のなる広葉樹をばさばさ伐り、金になる杉・檜の針葉樹を植林。

見た目にも単調な森。獣たちは餓えて里の畑を荒らす。















  


Posted by もももも at 16:41Comments(0)熊野