2011年06月03日
熊野詣
熊野古道 大雲取越え
かつての熊野詣では旅半ばにして行き倒れた人も多くいたという。
古道を歩きながらなぜそうなるのか不思議だった。
それは私がただ愉しみとして歩いていたからなのだと気付いた。
体がどんなに病んでいても、熊野に行けば救われるのではないか。
あの険しい旅路をまっとうすることはもしかしたらできないかもしれない。
でも、ではこのままどうしたらいいのか!
すがるようにして救いを求め歩いたのが熊野詣だったのだとおもう。
傷んだ心で歩くとよくわかる。
大門坂に入り、大杉を両手にすれば内側が静まっていく。
こんなにも軽かったのか。自分自身でなんと分厚い埃をかぶせていたのだろう。
あぁ、元に戻ったと思った。元気とは元の気に戻ること。
小雲取声 百間ぐら
「日本の民衆思想は他力の思想なのだと思う。
自然という絶対的に清浄なものをみいだし、その自然の姿に導かれながら「我」を解体していく。
自然を神とする絶対他力の思想が底にあって、その思いに言葉を与えたものが仏教である。」
内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』より
小額空木(コガクウツギ) 甘い香り
那智山の青岸渡寺にて供養をしてもらう。
アニミズムの世界が好きで、目に見える形で表したり何らかの形式をとろうとする宗教には違和感を覚えていたが、
形を与えることで得られる安らぎもあるのだと知った。
早朝の優しく澄んだ霊気の中で、本当に良いお経だった。
本宮 大斎原
那智から二日間歩いて熊野本宮大社へ。
本宮大社は明治22年の大水害で社が壊れるまでは大斎原(おおゆのはら)という3つの川の合流する中洲にあった。
本宮大社は終着の地であり、甦りの地と言われる。
大斎原は現在は一見ほとんどただの原っぱでしかないが、こちらがまことであることはよくわかる。
木は水を蓄える。熊野詣において最重要の本宮大社を破壊した大洪水は、森林伐採によるものである。
神からの警告。
高度経済成長期には木の実のなる広葉樹をばさばさ伐り、金になる杉・檜の針葉樹を植林。
見た目にも単調な森。獣たちは餓えて里の畑を荒らす。