2011年06月21日

魂の記憶をとり戻す旅

写真家星野道夫は1996年、カムチャツカで熊に襲われ逝去した。

龍村仁の著書『魂の旅 地球交響曲第三番』より


魂の記憶をとり戻す旅



「自分はどうしてこれほどアラスカの自然に惹かれるのか」

「先住民の人々と出会う時、なぜこれほどの懐かしさと安らぎを覚えるのか」

「ベーリング海峡を前にした時、突如湧き起こって来るこの、抑え難い旅への衝動はどこから来るのか」

「自分はなぜ、これほどまでに熊を愛し敬うのか」

「自分はなぜ、十九歳の時、ひとりで北極圏のエスキモーの村まで来てしまったのか」

こうした問いに対する答えが、自分の外側から、知識や情報によってもたらされることなどあり得ない、

ということを星野はよくよく知っていた。

多分、その答えは自分自身の中にすでに「記憶」として存在することも、星野は知っていた。

しかし、その「記憶」は、座して待つだけでは決して甦ってはこない。

だから彼は「旅」に出たのだ。

「ワラリガラス神話」を求め、それぞれの場所に自ら立ち、人と出会い、

風に吹かれ、匂いを嗅ぎ、音を聴き、手で触れ、苦しみ、悲しみ、驚き、その先で、

フト我に返った時、初めて甦ってくるかも知れない「一万年前の記憶」。



魂の記憶をとり戻す旅


以下は星野道夫 『森と氷河と鯨』より





巨木の間を抜け、森に足を踏み入れてみると、あたりは夕暮れのように暗くなった。

かすかなクマの道が森の奥へと続いていた。

クマに出会いたいのか、

それとも出会いたくないのか、

自分でもよくわからない気持ちを抱きながら、

ぼくはゆっくりと進んでいった。

やがて森の気配にも慣れてくると、

まるで、自分がクマの目になってこの森を眺めているような気分にとらわれた。

クマの道は次第に分かれ道が多くなり、やがて踏み跡もはっきりしなくなって、

いつのまにか森の中へ消えていった。

そこが、人間とクマの世界の、ひとつの境界のような気がした。

かつて私たちももっていた人間と自然の境界、、、、。

夜になり、森から少し入った川原で野営をした。

天上を仰げば、黒い木々のシルエットに囲まれるように星空があった。

ぼくは、

“人間が究極的に知りたいこと”を考えた。

一万光年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ、

人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、

どんな未来へ向かい

何の目的を背負わされているというのか。

けれども、人間がもし

本当に知りたいことを知ってしまったら、

私たちは生きてゆく力を得るだろうか、

それとも失ってゆくのだろうか。

そのことを知ろうとする想いが

人間を支えながら、

それを知り得ないことで

私たちは生かされているのではないだろうか。

ぼくはクマの道が消えていった世界の奥深さを思った。

その目には見えぬ深遠さは、

“人間が究極的に知りたいこと”と、

どこかでかかわっているはずだった。

ホーッ、ホーッと、森の奥から、低くこもったフクロウの声が聞こえてきた。

近くにクマがいるような気がしてならなかった……。





Posted by もももも at 21:45│Comments(0)星野道夫
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